社会通念はいい加減で無責任【ソース〜あなたの人生の源は、ワクワクすることにある。】

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「時間を忘れて夢中になる」ということを、誰もが経験したことがあるはずです。特に子供の頃は、夢中になることの連続ではなかったでしょうか。

今思い返すと、子供の頃の私は常になにか楽しいことを探していました。そして行動的でした。そこに楽しいことがあるならば、雪が降っていても自転車で1時間かけて友達の家に遊びに行くようなそんな子供でした。なぜそんな行動力があったのかといえば、「ワクワクしていたから」という一言に尽きるでしょう。

本書「ソース〜あなたの人生の源は、ワクワクすることにある。」では、「ワクワクの源泉」や「生きる意欲の源」のことを「ソース」と呼んでいます。このソースを発見しそれに従うことで、毎日を楽しく生きることができる、という平たく言えばそんな本です。

なぜ私たちが望み通りの人生や仕事を手に入れることができないのかを、本書では誤った社会通念をうのみにしているからであると解きます。社会通念を切り口にする本はたくさんありますが、ここまでうまくまとめられている本は少ないと思います。

本書は全6部の構成で、第2部が「誰もが信じているウソ」というタイトルで「〇〇のウソ」という8つの章があります。世の中に広まっている社会通念を逆説的に捉えているこの部分が、私は特に好きです。

今思えば、私も社会通念に随分苦しめられてきました。私は、社会通念そのものを否定するつもりはありませんが、ひとつの物事でも視点を変えることでさまざまな解釈の仕方ができるということは学ぶべきことだと思っています。

なお、この記事で使われている引用文はすべて「マイク・マクナマス ヒューイ陽子(訳)『ソース〜あなたの人生の源は、ワクワクすることにある。』ヴォイス」のものです。

責任感のウソ

この章は以下の文章から始まります。

「人が取るべき責任ある行動はただひとつ。自分が心からしたいことをすることである。」

「好きなことをするべきだ」という考え方は、特に若い人に多く見られるものだと思いますが、近年では社会現象のような状態になっています。この考え方を持つ人が最近になって増えたのか、あるいはインターネットを通じたビジネスやSNSの普及によって顕在化しただけなのかはわかりませんが、この本の原著は1999年にアメリカで出版されたものなので、少なくとも日本だけのものではないようです。平和で豊かになってきたからだという解釈もできます。

アメリカや日本を含め、多くの国は民主主義なので、好きなことをするというのは当然の権利(自分で選択しなければならないという意味では義務)なわけですが、なぜか公平よりも平等を重んじるような社会主義的な考え方が良い行いだという風潮があります。民主主義であるがゆえに社会主義への憧れが強いのか、あるいは皆がそうしているのだから抜けがけするなという圧力なのか。日本の場合は圧倒的に後者であるように思いますが…。

こういった社会通念は表面的なルールであって、必ず従わなければならないものではありません。ただし、周囲の人の目や社会的な立場があるので、「毎日好きなことをして最高に楽しいぜ〜」みたいな態度は、トラブルを避けるためにも隠しておかなければなりません。周りにさとられなければ何の問題もないわけです。これが社会通念がより強固になっていく理由でもあります。「成功者は語らない」わけです。

ヤル気のウソ

「無理矢理にヤル気を出す必要があるのは、したくないことをしなければならないときだけです。」

この一文に尽きます。

能力のウソ

「適性があると言われたからといって、それをする必要もなければ、好きになる必要もない。しかし、適性がなくてもワクワクすることなら、やったほうがよい」

私もこれにはある程度賛成ですが、本書の内容とはやや理由が異なります。私は適性がないほうが成功しやすいと思っています。

一般的に考えた場合、適性というのはその分野に適した能力のことですが、これは成功した人たちに共通する能力ともいえるでしょう。適性のある人がその分野に踏み込めば、適性のある人たちと同じ土俵で戦うことになります。つまり、競争が激しいということです。

適性のない人がその分野に参入したとしても、周りは適性のある人たちばかりです。その分野に適していると考えられている能力で勝負したとしても、勝ち目がないことは明らかなので、他の能力で戦うことを思いつきます。これは、その分野の表面的なルールで戦わず、別のルールを持ち込むことを意味します。つまり、適性そのものを変えてしまえばよいわけです。「言うは易く行うは難し」ですが…。

理由はどうあれ、人に勧められて始めるよりも、自分で選択して始めたほうが長続きするということのほうが重要だとは思います。

上手のウソ

能力のウソとほぼ同じです。「好きこそ物の上手なれ」です。

決断のウソ

「私たちにとって最善の行為は、決断をぐずぐず先に延ばすことだ」

決断に迷いがあるということは、脳の中で十分に情報の解析ができていないということです。どうやら私たちの脳は、睡眠中やリラックスしているときに脳が非常に活発化しているようです。おそらくこのときに情報の整理整頓が行われ、決断するための準備が進められているのではないかと考えられます。もしそうだとすれば、脳に情報が入った直後に決断することは、無謀であるとさえいえます。

妥協のウソ

「自分がやりたいことを全部やるのは可能だ。むしろ、やりたいことはすべてやるべきだ」

「二兎を追う者は一兎をも得ず」的な考え方も、社会通念のようなものです。2つのことを両立させるのは不可能だということです。これは、時期をずらしたり、時間の使い方を工夫することで解決できます。

話はそれますが、なぜこうしたことわざが社会通念になるほど浸透しているのかを考えると、おそらく曖昧だからです。それがどんな文脈で語られているのかが一切含まれていません。これをさまざまな状況に当てはめれば、一致するものと一致しないものがでてきます。私たちは一致するものを見て「ことわざは正しいのだ」と理解するのです。解釈の仕方によって結果が変わってしまうという意味では、予言と似ていますね。

優先順位のウソ

「妥協のウソ」と似ていますが、こちらはやりたいことを全部やると決めたあとの話で、やることに優先順位をつけることを否定しています。優先順位の低いものはいつになっても実行できないからだといいます。また、ひとつのことをいつも優先させていると、人生のバランスがくずれるとも書いています。

これは私にも思い当たる節があります。毎日同じことばかりやっていると、楽しいことをしているはずなのに苦しくなってきて、なにもやりたくなくなるのです。「なにを食べればいいのか」と同じで、「なにをやるのか」もそのときにやりたいことをやるほうが健康的なのかもしれません。

現実的になれというウソ

人が「現実的になれ」と言っているとき、その言葉の本当の意味は「自分のやりたいことを、やりたいようにやるな」という意味です。

この一文に尽きます。

ただし、「〇〇のウソ」というタイトル全般に言えることですが、それぞれの社会通念を人々が信じているわけですから、嘘を言っているわけではないです。中には嘘を言っている人もいるのかもしれませんが、それよりもたちが悪いのは、社会通念を人に押し付けることが、本当にその人のためになると思っている人たちでしょう。

あとがき

ここまでで、この本の4割ぐらいです。このあとにソースの見つけ方や実行の仕方が詳しく解説されていますが、とりあえずこの記事はここで終わりにします。続きを書くかはわかりません。

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