教養は欲望のブレーキ【あらためて教養とは】

軽めの本を、と思い購入したのが村上陽一郎の「あらためて教養とは」です。ただ、読んでみるとそんなに軽くはありませんでした。科学哲学が専門だからだと思いますが、教養の根っこの部分まで掘り下げて書かれているので、何についての本だったのか忘れてしまいそうになることが何度かありました。

「教養」を広辞苑で調べてみると「①教え育てる ②(culture(イギリス・フランス)・Bildung(ドイツ))学問・芸術などにより人間性・知性を磨き高めること。また、そのことによって得られる知識や心の豊かさ。」などとなっています。「Bildung」はドイツ語で、「教養」以外にも「形成」という意味もあるようで、これについては本書の中でも述べられていますが、英語の building(造り上げる)に近い言葉で、教養とは、自分という人間を造り上げていくことなのではないかと述べられています。

教養とはモラルである

本書を読んで感じたことは、序章でも書かれている通り「教養の原点とはモラルだ」ということです。本書で繰り返し使われている言葉で「規矩」や「慎み」があります。これもモラルと通じているというか、モラルを構成している要素だと思います。

この本が書かれたのが2004年くらいだからか、電車の中で物を食べたり化粧をしたり、あるいは地べたに座ったりといった行動に対して、「恥の感覚というのがいったいどこへ行ったんでしょうかね」(P248)と述べられています。そのすぐ後で「だから私たちの世代が、「みっともなさ」の感覚を消失させてしまったのだ、と言わざるを得ないのかもしれませんね」と書かれています。

今では、コンビニの前で集まって地べたに座っている人はほとんど見かけませんし、電車の中で化粧をする人もほとんどいないのではないかと思います(たぶん)が、結局そういった若者文化というか流行のようなものを作り出しているのは大人たちであるということは、否定のしようがないことだと思います。それはもちろん大人がツールを提供しているという単純なことではなく、大人たちが行動を起こさせているということです。

こうした話以外にも、言語についてだったり、大学での教養教育についてなど書かれています。そして最後には「私を「造った」書物たち」として、著者の読書遍歴のようなものが昔話とともに書かれています。

教養の原点がモラルであり、モラルを破ることは恥ずかしいことであると考えると、人間の欲望にブレーキをかけているのが教養であると考えることができます。

本書第6章の最後では「教養を揶揄するときの決り文句、「理性と教養が邪魔をして」というフレーズは、実は正しいのですよ。まさに欲望の限りない追求の「邪魔」をしてくれるのが教養だと考えられるからです」(P254)とあります。

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