怒りのリスクと対処法

「怒るにはエネルギーが必要だ」という指摘は私にも理解できますが、だからといって「エネルギーを使ってでも怒るのは相手のためだ」という言い分は都合のいい論理としか思えないです。「行き場のないエネルギーを発散しているだけ」という論理でも成り立ちます。

なお、以下の文章は他のサイトの記事として書いたものを加筆・修正したものです。デール・カーネギー著『道は開ける』が基になっているものが多いです。

怒りとは

一般的に、人は身体的・心理的危険にさらされたり、人の行動が自分の価値観や概念と異なる場合(これも心理的危険です)に怒りを感じます。他人の行動だけではなく、自分の行動が自分のあるべき姿と異なる場合にも、怒りや落胆といった感情を抱く場合もあります。ただし、同じ現象を目にしても、怒りを感じる人と感じない人がいることからもわかるように、現象をどう捉えているかによっても怒りを感じるかどうかは異なります。

人はなぜ怒りという感情をもっているのか

人は怒りを感じるとアドレナリンが分泌されます。アドレナリンには心拍数や血圧の上昇、呼吸数の増加、痛覚の鈍化などの作用があり、狩猟など人が獲物を捕獲するときと同様の状態となります。身体が活動を行う体制が整い、怪我をしても痛みをあまり感じず、恐怖さえもねじ伏せる事ができるという、一言で言えば戦闘態勢に入るのです。

アドレナリンの分泌は、最高のパフォーマンスを発揮するための機能であると同時に、自分自身や自分の大切なものを守るための機能であると考えることができます。しかし、狩猟は生きるための方法であり、闘争本能という言葉は当てはまりそうですが、怒りとはやや異なります。

現代社会において、怒りの要因として最も多いと考えられるものは、社会的自己を傷つけられることと、ものごとが自分の思い通りにいかないことです。

怒りのほとんどは不安や恐怖の裏返しであると考えられています。自分の価値観や考え方、意見を否定され社会的な立場を脅かされたり、自分の言いたいことがうまく伝わらなかったり、理不尽な要求をされたり。これらはすべて「自分の能力が低い」と他人に思われてしまう恐怖を回避するための反応であると解釈できます。ものごとが思い通りに進まないことも、自分の能力が低いことを認めたくないという心理によって、自分以外のものに責任を転化しているのです。

これらをまとめると、怒りは恐怖という感情の別の側面であり、一方が顔を見せるともう一方は見えなくなる。常に恐怖を感じていると健康状態に支障が出てしまうので、怒りという感情でアドレナリンを分泌し健康状態のバランスを保っていると考えることができます。

怒りを感じやすいのはどんな人か

先にも書いた通り、怒りは恐怖や不安の裏返しです。社会的地位や信用を失うことへの恐怖が怒りを生み出しています。つまり、他人の評価を気にする人が怒りを感じやすいと言えます。

単純に他人の評価を気にするだけではなく、心に余裕がなくいつも時間に追われているせっかちな人に怒りを感じやすい人は多いように思います。これは時間を失うことへの不安がせっかちにさせているのだと言えます。

怒りは我慢しない

怒りの感情は冷静な判断力を失わせます。怒り任せの行動は自分の不利益になることがほとんどです。それなら怒りを我慢すれば良いのかと言うとそうではありません。人間は何かを我慢すると、他のことが我慢できなくなるということがわかっています。

心理学では「制御資源」という考え方があります。人は制御資源を使用することで感情をコントロールし何かを我慢することができるが、この制御資源には限りがあり、枯渇すると感情をコントロールできなくなるとされています。

怒りは我慢するのではなく、鎮めるか、最初から感じないのが望ましいのです。

自分の感情パターンを知る

ただ、感情というのは意志だけで制御できるものではありません。一般的に考えられている感情が生起する仕組みは、心拍数の変化やストレス反応といった生理的反応が先にあり、それに付随して感情が生起するというものです。この生理的反応は「パプロフの犬」でも有名な古典的条件づけによっても生起します。例えば、道に転がっている石を見ても本来は生理的反応は起こりませんが、石を見る行為と不快な感情の生起がほぼ同時に起こった場合、これらが結びついてしまうのです。これを繰り返すと、石を見ただけで生理的反応が起こり不快な感情が生起します。

怒りを感じるときには、何らかのきっかけやパターンがあるはずです。もし怒りを感じたら「自分はなぜ怒っているんだろう」と自分を客観的に見る癖をつけて分析してみると、自分の意外な一面が見えてくるかもしれません。

怒りのリスクを考える

あなたがもし、誰かに対し怒りを感じて仕返しをしたらどうなるでしょうか。一時的にあなたの気持ちは治まるかもしれませんが、これが慢性化すると高血圧に伴う病気により、あなたの健康を損なうことになります。さらに相手が仕返しをしてくれば、新たな怒りを生み出し悪循環へと陥ります。仕返しをしたことが他の人に知られれば、あなたは信用を失うかもしれません。

怒りを感じている時間、仕返しを考えている時間を他のことに当てたほうがよっぽど有意義な時間を過ごせます。仕返しをすることは自分自身を傷つけるだけでなく、自分の時間もドブに捨てていることになるのです。

もしあなたが相手との関係を修復したいと思っているなら、相手も同じ気持ちである可能性が高いです。怒りの感情は大人も子供も変わりありません。子供の喧嘩のように「次の日には仲良く遊んでいた」なんてことも、大人の世界では多いです。

もし相手が誰に対しても「嫌な奴」であるなら、関わらないことです。嫌いな人間に一分たりとも頭を悩ませるのは時間の無駄です。仕返しをすることは、嫌いな相手に自分の命を捧げているのと同じことなのです。

見返りを求めない

私が以前働いていた会社の社長がこんなことを言っていたそうです。

「この不況の中でボーナスを払ったのに、なぜ誰もお礼を言わないんだ」

私は朝礼のときに「社長がこうおっしゃっていたから、社長にあったらお礼を言うように」と上司から聞かされました。

見返りを求めて行動したときに限って、誰にも感謝されないことはよくあることです。むしろ感謝されないことのほうが多く、それが当たり前なのです。

感謝の気持ちが生まれるかどうかは周りの人の接し方にもよります。「私はこれだけのことをあなたにしたんだ、感謝しなさい」と言われて感謝の気持ちが生まれるでしょうか。感謝の気持ちを持って相手に接すれば、相手も感謝の気持ちを持ってくれます(返報性の原理です)。

見返りを求めて行動すると、その期待を裏切られたという感情が芽生えてしまい怒りへと発展する恐れがあります。相手に報酬を期待せず、報酬は自分自身で作りましょう。

他人の批判は感情で聴かない

今はブログやSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)で個人の意見を簡単に世界へと発信することができ、それを閲覧することもできます。人の意見を聴くことは大切ですが、中には批判ではなくただの悪口を書き込む人もたくさんいます。この人たちは、誰かに相手にして欲しいだけか、ただの暇人です。このような人に自分の時間を捧げる必要はありません。

他人の批判は感情で聴いてはいけません。感情で聴けば喜び、哀しみ、怒りなどの感情が湧き起こります。批判は自分を高めるための道具として使います。今後の中で生かせる批判や参考になる意見はどんどん取り入れ実践していきます。逆にこれは自分には必要ないと感じれば流します。当然、悪口は何の参考にもなりませんから無視します。

このような考え方が自然とできるようになれば、怒りや哀しみなどの感情に振り回されることはありません。

怒りの方向を変える

ハングリー精神は怒りとは異なりますが、根っこの部分が怒りであることもあります。その相手が特定の誰かである場合もあれば、世間という実体の無いものである場合もありますが、共通しているのは高いエネルギーです。

ハングリー精神を持つ人はこのエネルギーを人には向けず、自分を高めるために使っています。誰かがミスをしてもそれを人のせいにはしないで、自分が努力したり考え方を変えたりすれば解決できると考えるのです。

誰かがミスをしても「ちょっとまてよ。私がこうしておけば彼はこんなミスはしなかった」「こんな行動は取らなかった」と考えれば、他人に対して怒りが芽生えることもありません。

『人を動かす』『道は開ける』などの著者であるデール・カーネギーは、自著の中でこんなことを言っています。

「私はかつて自分の問題をよく人のせいにしたものだが、歳を取り知恵をつけるに従って、結局自分の身に降りかかる不運はすべて自分のせいなのだということに気がついた。歳を取ると、多くの人びとがそう気づくものなのだ」

D・カーネギー 田内志文(訳)『新訳 道は開ける』角川文庫

私は二十代前半の頃、似て非なる考え方をしていました。

「自分が犠牲になって努力をすれば、周りの人間が何もしなくても問題は解決する」

私はデール・カーネギーの言葉と出会い、自分が犠牲になっているのではなく、それらは自分が蒔いた種だったのだと気づきました。

まとめ

怒りは、人を行動に駆り立てる高いエネルギーをもっています。使い方さえ間違えなければ役に立ちますが、このエネルギーを人に向けると、最終的には自分に跳ね返ってきます。健康や時間、社会的信用を失います。

怒りの対処方法は、自分の感情パターンを知ること、怒りのリスクを知ること、見返りを期待しないこと、他人の批判は感情で聴かないこと。そして、自分の周りで起こる出来事は自分の行動によってコントロール可能であることを認識することです。

自分の時間は、もっと有意義に楽しく使いましょう。

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