「好きなことを主な仕事にして生きていく」で議論してみよう

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先日書いた「好きなことだけをして生きていく???罰ゲームですか?」では、論点から外れたものとなってしまったので、この言葉の本質であると思われる「好きなことを仕事にして生きていけるのか」について書いていきます。

ただし、好きなことを仕事にしている人がすでに存在していることから「可能なのか否か」という議論については答えが出ているので、ここでは「皆が好きなことをしたらどうなるのか」という視点で書いてみます。

結論から言えば「皆が好きなことをしても、現状と何も変わらない」となります。これはごく単純な経済原理を用いたシミュレーションから導かれます。なお、法律などの制度的なものは変わらないものとします。

皆が好きなことをしたらどうなるのか

現実的ではありませんが「今から皆さんは、好きなことをして生きてください」となったとします。おそらく人気のあるものとないものに分かれ、大きく偏りが出るでしょう。

例えばYoutuberに人が集まったとします。すると動画コンテンツは充実し、それを見る人も増えていきます。しかし、世界の人口あるいは日本の人口は無限ではないですし、動画を見る人の数も動画を見る時間も限られているため、やがて頭打ちになり、そこに集まるお金も頭打ちになるでしょう。そんな中で動画の数だけが増えていけば、動画コンテンツの価値に偏りが出始め収入の差が生まれ、それだけでは生活できなくなる人も出てきます。競争しているという認識がなくても、競争は生まれるのです。

一方で、人が集まらなかった仕事では、その仕事で作り出されるものの数が減少します。その作り出されるものが、人々が生活する上で必要なもの(需要のあるもの)であれば価格は上昇します。これを作っている人たちは利益を最大化させるために、人件費上げてたくさんの人を雇おうとします。そこで、一度Youtuberを選択した人たちも、好きなことと収入を天秤にかけ、収入を選ぶ人たちが出てきます。

こうして、需要と供給のバランスが保たれる状態に戻っていくことになります。

これは短期的に見たものであって、長期的に見た場合には、人口は変化しますし仕事の数も変わります。ただし、需要と供給のバランスが保たれる状態に戻っていくことには変わりありません。

好きなことをどう定義するのか

そもそも「好きなこと」とは一体何なのか。おそらく一般的に考えられているものとしては「それをすること自体が楽しい」というものだと思います。ではスポーツなどで、練習は楽しくないけれど「満足のできる試合ができたときが楽しい」「できなかったことができるようになることが楽しい」という場合は「良い結果が残せたときが楽しい」わけなので好きなことに含まれないのでしょうか。もしこれが好きなことに含まれるのであれば、仕事をした結果に高い収入が得られることも好きなことに含まれることになります。もしそうならば、上述した「好きなことと収入を天秤にかけ・・・」とありますが、どちらを選んでも好きなことを選んでいることになります。

「好きなこと」は主観的であると同時に客観的でもあり、周りの人が「この人は好きなことをしている」と思っても、本人にとってそれが好きなこととは限りません。逆に「この人は好きなこともできずにかわいそう」と思ったとしても、本人は「毎日好きなことができて幸せだ」と思っているかもしれません。

経済学や心理学においては、本人がどう思っているかに関わらず、選択したものが選択しなかったものよりも好きなものだとみなされます。つまり、外部から見たときに観察可能なものを指標としています。この定義を用いれば、すべての人は「常に好きなことをしている」という結論になります。

だからといって「これが正しい定義だ」というつもりはありませんが、どう定義するのかによって議論の内容が大きく変わってしまうということです。私の議論があっちこっちに飛んでしまったのも、うまく定義できなかったことが原因です。一体何が書きたかったのか、もはや迷宮入りです。

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