【記憶の構造】記憶の統合と再構成

日常生活で経験したさまざまな出来事の記憶は自伝的記憶と呼ばれます。実験室での研究ももちろん大事ですが、より自然な形での研究も行われており、記憶に関する新たな発見もあります。

記憶の統合

自伝的記憶の代表的な研究法として、日々の出来事を日誌に記録し、その記憶を追跡調査する日誌法があります。

リントンは、この日誌法を用いて自分自身の記憶を6年間にわたって追跡調査しています。日々の出来事をカードに記録しておき、毎月そのカードの中からいくつかを取り出し、その出来事をどれだけ思い出せるのかをテストするものでした。その結果、自伝的記憶には2種類の忘却パターンが確認されました。

1つ目は、その出来事についてまったく思い出せなくなるもので、2つ目は、類似した出来事の細かな部分が忘れられ、互いに区別がつかなくなるような忘却(例えば3日前に食べた夕食が思い出せないなど)です。1つ目の忘却は、その出来事と、出来事を思い出すきっかけとなる記憶との結びつきが弱くなったかあるいは途切れたと解釈すれば説明はつきますが、2つ目の忘却は単純な記憶同士の結びつきだけでは説明することが困難です。

2つ目の忘却についてリントンは、エピソード記憶が意味記憶の中に統合されていくプロセスを反映していると解釈しました。

記憶の研究では、日常経験であるエピソード記憶の積み重ねが、知識と呼ばれる意味記憶につながるという考え方があります。これは極端にいえば、共通する要素がパターン化あるいは抽象化され、細かな違いが消失し精緻化されていくということです。3日前の夕食に食べたハンバーグの記憶が、もともともっていたハンバーグに関する記憶と統合され、3日前の夕食に食べたのがどのハンバーグだったのかわからなくなったり、あるいは毎日同じ時間に同じ場所で夕食を食べていることで、3日前の夕食に食べたものがわからなくなるなどです。

これらを端的にいえば「共通する記憶や類似する記憶はひとつにまとめられてしまう」ということです。ただし、共通するように見えるものでも、異なるものであることが分かるだけの知識があれば、別々の記憶として残っていくと考えられます。これは日常的な経験からも明らかです。

「理解とはなにか」について考えていくと、「なぜ似たような記憶がひとつにまとめられてしまうのか」あるいは「似たような出来事なのに、なぜ別々の記憶として残せる人がいるのか」という疑問もある程度は説明がつきます。ただ、「理解とはなにか」という問いはかなり込み入った話になるので、これについてはまた今度にします。

偽りの記憶

ロフタスらは、実験参加者の両親の協力を得て、参加者の幼児期に実際に起こった出来事を3つと「ショッピングモールで迷子になった」という虚構の体験の合わせて4つのエピソードを準備しました。参加者は「両親に確認した」ことを知らされた上で、この4つのエピソードをできる限り詳細に思い出して報告するように求められました。

その結果、有意な比率で偽りの記憶が確認されました。偽りの記憶は、実際にあった出来事ほどではないものの、確信度や記述の詳細さは高かったそうです。

この研究のポイントは2つあり、まず「両親に確認した」という社会的な圧力があったことです。信頼している両親が言っているのだから、実際に起った出来事なのだろうという思い込みと、両親が実際に起った出来事であると言っているのに自分が覚えていないとなると矛盾が生じてしまうため、これを解消するために関連している記憶をつなぎ合わせてエピソードの詳細を作り上げたのだと解釈できます。

もう一つのポイントは、実際に起ってもおかしくない出来事だと参加者が思ったであろうということです。あまりにも現実離れしたエピソードでは、関連する記憶が存在しないかあるいは少ないため、その詳細を作り上げることができず、実際に起った出来事としては成立しないでしょう。

こうした偽りの記憶は、単に出来事をイメージするといった心的なシミュレーションが行われるだけで、実際に起こったという確信度が高くなることがわかっており、これはイマジネーション膨張と呼ばれています。つまり、実際に起っていない出来事でも、頭の中で何度もリハーサルが行われることで記憶が強化され、実際に起った出来事として認識されてしまうということです。

記憶の再構成

リントンの研究で見られるような記憶の統合や、ロフタスらの偽りの記憶などが、一般的なものなのか特殊なものなのかははっきりしませんが、少なくとも記憶というのは、単純に覚えたことを再生するだけのものではないことははっきりしています。

これらの結果を含めたさまざまな記憶研究をみる限り、記憶された出来事はある単位に分解され、想起されるときに再構成されているのではないかと考えられます。また、再構成される際に、いくつかの記憶の部品が失われていても、別の部品を当てはめることによって記憶を維持しようとする機能も考えられます。この機能を想定することよって、出来事の記憶全体を忘れるのではなく、部分的な記憶の変容として表れることも説明ができます。

記憶が想起される際に再構成されていると考えると、それぞれの部品としての記憶と、部品を組み立てるための全体の構造の記憶を想定することになります。あるいは、部品そのものに配置の記憶が埋め込まれているのか・・・。また、部品化される過程には規則性があるのか、部品化される記憶には最小単位が存在するのかなど、さまざまな問題を考える必要がでてきます。

人間の記憶の構造は、単純ではなさそうです。

この記事の参考書籍

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