価値とはなにか

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6年くらい前の話になりますが、東野圭吾さんの『プラチナデータ』という小説を読んでいろいろなことを考えた記憶があります。とても面白かったので、そのあとに映画化されたものも観ました。

ここでは内容の本筋には触れませんが、私の中で強く記憶に残っている場面があります(主人公の心の変化を表す重要な場面ではあります)。陶芸家であった、主人公神楽の父親の話です。6年も前に読んだ小説なので、私の記憶違いもあるかもしれませんが、手元に小説があるのでこれを基に私なりに要約します。

陶芸家であった神楽の父親は、コンピュータによって作られた贋作を見抜けず、自分に失望し命を絶ちました。神楽はデータこそがすべてだと結論し、父の作品でさえデータの集積に過ぎなかったのだと失望しました。しかしあるとき、どんな芸術作品でもデータ化は可能かもしれないが、そのことに大した意味はなく、そのデータを生み出したものは何かということこそが重要であることに気がつきます。

※以下は、小説の内容とは直接関係がないので、誤解のないようにお願いします。

機械による再現と、データ集積による芸術家の新たな作品

現在の技術でも、物の芸術作品に限れば、機械やコンピュータによって再現することは可能かあるいは近々可能になるでしょう。さらに、私がテレビかなにかで見た情報によれば、芸術家の癖や特徴をコンピュータに読み込ませ、現実には存在していないがその芸術家が作ったらこうなるという新たな作品を作り出すことも可能になるといいます。現在の技術がどこまで進歩しているのか私にはわかりませんが、私の個人的な意見としては、原理的には可能であるように思います。

ただ、そうした場合、機械やコンピュータによって作られたものもまた、芸術と呼ばれるのでしょうか。それとも、上述した小説の主人公のように、その作品を作り出したものは何かということが重要になるのでしょうか。

作品の価値は、作品そのものだけでは決定されない

私を含め、絵画に詳しくない人がいくつかの絵画を見せられて、「どれが一番価格が高いと思いますか」と言われても、おそらく当てずっぽうで答えるしかないでしょう。絵画に詳しい人に「なぜこの絵画は価格が高いのですか?」と聞けば、「〇〇という画家が描いたものだからです」「この画家が描いた作品数が少ないからです」という理由であったり、あるいは「絵画が描かれた時代背景が・・・」「この画家の生涯が・・・」という説明になると思います(私は絵画に詳しくないので、想像で書いています)。

これらの説明で私が気がついたことは、作品そのものの説明がほとんど含まれていないことです(自分で書いておいてなんですが…)。これは多くの物事に共通することですが、そのモノの価値を決める場合、そのモノ単体では価値を決定することはできないのです。それは貨幣価値でも芸術的価値でも同じことです。価値というのは、比較対象があって初めて成り立つ概念です。

美術品がなぜ高いのかという説明では、「需要と供給のバランス」「希少性」がよく挙げられますが、これも作品そのものとは関係のないものです。

まとめると、モノの価値は周りの環境や人々の記憶に影響されるということ。言い換えれば、モノの価値は人によって異なるという、身も蓋もない結論が得られます。

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